これいじょう、もうどうしようもない


 どんなに努力しても全然状況がよくならない。どんなに努力してもむくわれない‥。しあわせになれない‥。じぶんや運命に怒りをかんじる。でもそのうち怒りもとおりこして、人生をあきらめてしまう。

 そんなとき、あなたはじぶんでできることはぜんぶやったのだと思うんです。でも、そのなかで「やっていないこと」があるのかもしれません。それは、死んでも「やりたくないこと」‥。でも、このどうしようもない状況を変えたいのであれば、死んでも「やりたくないこと」をやるといいのだといわれているんです‥。やりたくないですね(笑)

わたしが「どうしたらいいのかわからない」と思っていたとき


 わたしも数年前は「もうどうしたらいいのかわからない」とあたまを抱えていました。仕事も、恋愛も、人間関係も全然うまくいきませんでした。毎日、つまらなく、いきがいを感じられませんでした。人生をあきらめて絶望していました。

 なんとか人生を変えたい!そんな思いでカウンセラー養成コースにはいり、心理学を学び始めました。すこしづつ楽しさを感じられるようになり、絶望もやわらぎました。

 でもどうしても、なにかすっきりしないのです。どんなにひとにやさしくしても、どんなにひとに近づいてみても、孤独が癒されないのです。こころから「たのしい」とか「うれしい」とか思えないのです。

 だんだん、こころとからだが疲れてきました。あるとき、おなかのあたりがおかしいとかんじました。

 以前から婦人科系がよわかったので、婦人科にいき検査をしました。左の卵巣がふくれあがって13センチくらいになっていました。すぐ摘出しないといけないといわれました。

 もうこどもはもてないなぁ、と思いました。年齢的にもぎりぎりで、こんな病気になってしまったのです。こどもがほしいきもちがあり、婚活をがんばっていたんです。とてもショックでした。

 「これいじょう、もう、どうしたらいいの?」こんどこそ、絶望しました。
 
 たえられなくなり、三枝みきカウンセラーに電話をしたんです。三枝カウンセラーはスクールの先輩で、いつも後輩のわたしの相談にのってくれていたのです。三枝カウンセラーを母のように思い、尊敬して、頼りにしていたのです。

 三枝カウンセラーはやさしくはなしを聞いてくれました。「だいじょうぶだよ」とはげましてくれました。わたしがすこし落ち着くと、三枝カウンセラーはあっさり電話をきりました。

 「なんかつめたい!もっと親身になってくれると思ったのに!」とわたしは思いました。

 でも‥。三枝カウンセラーのことは母親のようにおもっているけれどほんとうの母親ではありません。

わたしがいちばん「やりたくないこと」は‥。


 わたしはほんとうの母親に電話をしなければいけないんだ‥。三枝カウンセラーはそのとき、言葉にはしなくとも態度でしめしてくれたんだな、と思ったのです。 でも、わたしは絶対、死んでも電話したくありませんでした。もう数年家に帰っていなかったのです。

 わたしの母は50代でひどいリウマチになってしまいました。病気のために、うまく歩けなくなってしまいました。好きだった仕事をやめました。気丈だった母親はしんじられないほど、元気がなくなってしまいました。

 それをわたしはなんだかじぶんのせいのように感じてしまいました。じぶんが母親を大事にしなかったから、こんなかわいそうなことになってしまった、と思ってしまったんです。そして、そんなかわいそうな状態の母親をおいて、家をでてしまったのです。見ていられなかったのです。

 そして、そのことでわたしはじぶんをさらにひどく責めたのです。

 こんなわるいじぶんは、結婚したりとか、こどもができたりとか、カウンセラーになるとか(笑)しないと手ぶらでは家に帰れない、そんなきもちだったのです。

 でもいまのじぶんはなんでしょう。なにもできていないどころか、病気になってしまった。
母をよろこばせるどころか、悲しませる。

 ほんとうに情けない。ほんとうにかっこわるい。ほんとうにかんがえうるかぎり最悪の結末です。

 だから、わたしは絶対に母に電話をしたくありませんでした。

 だから、電話しないで、ひとりで手術をうけたほうがいいのかな?と考えました‥。

 でもわたしは、ほんとうに疲れ果ててしまっていました。ひとりでこの状況にたえる、そんな気力はありませんでした。もう、白旗をあげるしかない‥。助けてもらおう‥。

 いざ電話をするときになると、こんな声がこころのなかに響きわたりました。

 「ずっと帰っていなかったのに!さんざん無視してきたのに!つごういいよね!」
 「きっとおこっているよ。ぜったい助けてなんてくれないよ」
 「あんたはなんて恥ずかしい人間なんだ。あきれるよ」

 ほんとうにもっともな意見なのです。こころがおれそうになりました。

 でも、これはエゴの声だな、と心理学を勉強していたわたしはわかりました。エゴというのは怖れを土台にしたマインドのことをいいます。エゴは人とじぶんを比べさせたり、競争させたりするのです。そしてエゴの目的はわたしたちをひとりぼっちにすることといわれています。

 この声のいうとうりにしたら、いけないのです。わたしはここで電話をしなかったら、かっこうはいいかもしれません。でも、きっと一生孤独にくるしむことになるだろう、そんなふうに思いました。


これいじょう










ほんとうに勇気がいること


 だからほんとうに勇気をふりしぼって、死ぬおもいで数年ぶりに母親に電話をかけたのです。
病気になってしまったこと。手術しなければならないこと。家にかえらなくて、申し訳なかったということ。そして、助けてほしいということ。

 なんて、恥ずかしく、みじめで、かっこわるいのでしょう‥!!

 母親は静かにはなしをきいてくれました。そして家にかえってきて治療をうけたらいいよと言ってくれたのです。ちっともわたしを責めませんでした。

 わたしはとても安心しました。ほんとうにうれしかったのです。
そして、母親をちいさくみつもっていた自分がはずかしく思いました。

 そしていままで母親にわるいと思って自分を責めていたけれど、そう思うことで母からの愛をうけとっていなかったのです。そしてそう思うことで母を愛さなかったのです。それがいちばんの苦しみの原因だったのです。

 わたしは、その後、家に帰って治療をうけることになりました。くわしい検査の結果、わたしは初期の卵巣がんでした。ながい治療になりました。でも、おかげさまで、無事に治療もおわりました。

 そしていま、そのときとはくらべものにならないほど、晴れやかなきぶんで生活しています。毎日充実していて、健康でたのしく、しあわせなのです。夢だったカウンセラーにもなれました。

あなたのしあわせのために。


 それは、たぶん、わたしが病気のとき、人生のどん底だったとき、いちばん「やりたくないこと」をやれたからかもしれません。

 それは、「たすけて」ということ。それも、いちばん、いいたくない相手に‥。

 それができたから、いまのしあわせがあるのかもしれないなぁ、とおもっています。

 みなさんには、わたしのように、ほんとうにどん詰まりになる前に、「やりたくないこと」にチャレンジされることをおすすめします(笑)

 わたしの体験が、皆さまのお役にたてたら幸いです。


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